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ホロコースト考 第八回 ホロコーストの命令はなかった
絶滅命令はなかった

「ヒトラーの戦争伝記を全面的に書くには、誰がこれ(強制収容所)を言いだし、誰がこれに荷担し、誰がこれを遂行したかという重要問題に対するもっと分析的な接近が必要であると私は思った。
 注目すべきことに『ユダヤ人問題の最終解決』におけるヒトラー自身の役割は、これまで検討されたことがないのを私は知った。ドイツの歴史家は他のテーマならどんなものでも入念にテストしてみて、どんな仮設でもあらゆる角度から検討しないと受け入れない典型なのに、ヒトラー問題となると突然とんでもない盲点を示し、見え透いたことを言い、伝説を作り、一片の歴史的証拠もないのに罪をなすりつけるのだった。
 イギリスとアメリカの歴史家がこれにならい、他の著述家がこれを引用した。過去三十年、残虐行為におけるヒトラーの役割について、われわれの知識はこうした歴史家相互の馴れ合いによるものだった」(『ヒトラーの戦争』)
 デイヴィッド・アーヴィングは歴史家として、ヒトラーであろうがユダヤ問題であろうが・常に公正に取り扱われなければならないと提唱し、今も彼の態度は変わらない。
 しかしデイヴィッド・アーヴィングがアメリカであるいはヨーロッパのどこかで講演をしようものなら、その講演会場にはたちまちシオニスト・ユダヤ人たちのピケで玄関が埋まり、プラカードで出席者は入ることができないほどの圧迫を受ける。ホロコーストについて語る者は、かりに真実を語っていたとしても、それは悪であるという烙印を押される。
 それでもアーヴィングの講演は続いているが、あるとき彼は講演の始まりに次のように言った。
「私はどこにもかたよってはいない。真実を語ることのみが歴史家としての仕事であると心得ている」
これを受けるかのごとくに反シオニストのアシュケナジー・ユダヤ人マーク・レインは次のように語った。
「ヒトラーはユダヤ人絶滅命令を一回として出してはいない。彼が部下に命じたのは追放することのみであった。そのユダヤ人追放が大量に達したとき、彼は当時のユダヤの指導者であったワイツマン(後の初代イスラエル大統領)にある取引を申し出た。ユダヤ人たちをそちらに渡す代わりにドイツヘの経済援助を求めたのである。これは歴史的事実である。
 しかしワイツマンはそれを断わった。ユダヤ人たちが迫害され、あるいは殺されることによって、それがイスラエル建国のバネとなり、また戦争後のユダヤ人たちが世界にアピールしていくときのバネとなると、彼ははっきり答えたのだ
 マーク・レインはこのようなことは多くのユダヤ人たちの知っているところであると話していた。
 さらに一九八九年六月十五日付の「ニューズウィーク日本版」は、プリンストン大学のアーノ・メーヤー教授のホロコーストに関する著書についても載せている。彼もアシュケナジー・ユダヤ人である。

反共主義の副産物

「メーヤーの主張を一言で言えば、ヨーロッパの全ユダヤ人を殺戮しようという意図的政策は、本来存在しなかったということだ。ユダヤ人絶滅計画はヒトラーの最も主要な妄想だったとする歴史家とは違って、メーヤーは当時の状況がもたらした産物だとみる。つまり、ナチの他の衝動、中でも対ソ連戦から自然発生的に生じた一つの結果にすぎないと言うのだ。
 メーヤーにとっては、ナチの指導者や陸軍将校、企業経営者といった当時のドイツを牛耳っていたエリートの反共主義こそが、あの戦争の原因なのだ。そしてユダヤ人絶減は、反共主義の副産物にすぎない」
「『もし東部における電撃戦が成功していれば、ユダヤ人はおそらく虐殺されることなく、国外退去になっていただろう』」
「それ以降でさえメーヤーによればナチの多くは、殺戮より労働力としてユダヤ人を利用することに関心を持っていた。つまり多くのユダヤ人は、過酷な労働と飢えによって死んだというのだ。とりわけアウシュヴィッツでは『多くのユダヤ人が「人為的理由」よりも過労や飢えといったいわゆる「白然の理由」の中で死んでいった』と彼は述べ、銃殺や絞首刑、ガス室による死者のほうが少なかったとみている」
「ニューズウィーク」はもちろんシオニスト・ユダヤが握る雑誌であるがゆえに、アーノ.メーヤーの意見がそれとはまったく逆の意見を後に記すことによって薄められていることは事実である。
 しかしマーク・レインも言うように、多くのユダヤ人たちはこれを知っているのである。しかしそれを言うことは、自分たちに矢が返ってくることをも意味する。


宇野正美著『見えざる帝国』



ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その1〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=12
ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その2〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=40
ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その1〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=47
ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その2〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=78
ホロコースト考 第三回 〜『タルムード』とは何か〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=84
ホロコースト考 第四回 〜『シオニズム』とは〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=88
ホロコースト考 第五回 〜パレスチナの悲劇〜
http://ameblo.jp/maokapostamt/entry-10014715905.html
ホロコースト考 第六回 本当の犠牲者数は?
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=76
ホロコースト考 第七回 東欧の民主化と共産主義の裏にあるもの
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=1696

総統大本営における総統閣下の発言
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=2543


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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 23:14
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ホロコースト考 第七回 東欧の民主化と共産主義の裏にあるもの

民主化の背景にユダヤ系勢力の衰退が?

 これから詳しく述べていくことであるが、一九八九年の秋から東ヨーロッパ諸国でいわゆる民主化が始まったと言われたが、そうではなく各々の国からナショナリズムが噴き出してきたのである。長きにわたってこのナショナリズムを押さえていたユダヤ系支配層がその権力の座から引きずり下ろされていっているのが、今日起きている東ヨーロッパの変化なのである。
(略)



チャウシェスクの処刑とユダヤ勢力の関係

 ルーマニアに至ってはどうか。
 ルーマニアの大統領チャウシェスクは無惨な姿で処刑された。このチャウシェスクもルーマニアを支配していたユダヤ人たちに推される形で権力を握った。一九七七年エジプト大統領サダトとイスラエル首相メナヘム・ベギンが歴史的な会談をなした。長きにわたって戦ってきた両民族の和解が始まり歴史の流れが変わるのかと思われたほどの大事件であった。そのすべてを立案したのが実はチャウシェスクだったのである。
 チャウシェスクが死んでからしばらくした一九九〇年一月四日付の『ヘラルド・トリビューン』の記事。その見出しは「ルーマニアのユダヤ人たちは反発に警戒している」というもの。
「急激に少数派になっていくユダヤ人たちにとってニコライ・チャウシェスク政権の転覆は複雑な思いでの祝福といったものである。
 なぜならばチャウシェスク政権の二十四年間、ユダヤ人たちほどルーマニアの中で宗教的に最高の自治権を楽しんだ民族は他にいなかったであろうと専門家たちは言う。第二次世界大戦前八十万人以上いたが、現在残っているのは二万人のユダヤ人たち。それでもユダヤ教の学校を設立し、祝祭日を制定することができた。月二回の新聞を制作することもできたし、ユダヤ人だけの食べ物コーシャ(ユダヤ教の戒律に従った食物規定)を販売するレストランを維持することもできたし、多くのお金がかかるといえどもイスラエルヘの移住も自由にできた」
「彼の心配は親ファシストの知識を持つルーマニアの亡命者たちが、その母国に帰り始めるのではないかということである。現在の政治的な不安定さが続けば一気に反ユダヤ主義によってナショナリズムが噴き出してくるかもしれないということである」

 最後の言葉はチーフラビ、モーゼス・ローゼンの言葉である。ルーマニアにおいても戦後ユダヤ人たちが特権階級であったことがわかる。政変が起きたとき最も恐れるのはそれまで特権階級であった人々に限られているのは、世界中のどこにおいても常のことであろう。
 ポーランドではどうだろうか。かつてポーランドでアメリカの大使をしていたアーサー・レインは、彼がポーランドにいた当時ポーランドの在野勢力の活動的なところのほとんどはユダヤ人たちが占めていたとその記録の中に残している。
 ハンガリーにおいて。一九四五年に首相に復帰したマトヤス・ラクシィは、復帰するために共産軍を使用したが、その八年後の一九五三年、AP電は彼の独裁下で「ハンガリーの共産政権の高官のうち九〇%以上はユダヤ人たちである」と伝えている。同じ年に『ロンドン・タイムズ』はラクシィ内閣ではユダヤ勢力が卓越した支配力を持っているとも報じた。
 そしてチェコスロバキア。一九五二年『ロンドン・タイムズ』のレポート。

「中央ヨーロッパ、南ヨーロッパ、その他のところにおけると同じようにチェコスロバキアにおいても共産党の支配階級、さらには秘密警察の主要人物たち、彼らのほとんどはユダヤである」



東欧支配の礎を築いたスターリン

 ではなぜ東ヨーロッパ諸国、さらにはソ連においてユダヤ勢力がその支配層の中に多く食い込むことができたのであろうか。
 一九一七年十月の革命は一般にボルシェビキ革命と言われているが、その主要幹部のほとんど、正確には九五%以上はユダヤ人たちであった。だからこの革命はユダヤ民族解放革命であったと言ってもよいであろう。蛇足となるかもしれないが、あえて言えばこのユダヤ人というのはアシュケナジー.ユダヤ人である。アシュケナジー・ユダヤ人たちの革命であったわけだ。
 このアシュケナジー・ユダヤ人たちはもともとは中央アジアにいた民族であってロシアなどに移住してきたのである。したがって彼らは常に下層に置かれていた。ユダヤ教というキリスト教と相入れない宗教のほかに、流浪の民族である彼らはロシアの中で虐げられてきたのである。その民族解放のために自らがつくった理論を普遍化して革命を起こした。
 レーニンの母親はユダヤ人であり、トロツキーもユダヤ人ならばカガノヴィッチなどもすべてユダヤ人であった。しかしこの革命の中心人物とされたレーニンも一九二四年に亡くなった。このレーニン在世当時、スターリンはそれほど顧みられる人物ではなかった。しかしスターリンはしだいに頭角を現わし、ついに書記長にまでなる。当時の書記長は今考えるほどの絶対的権力を持っていたわけではない。それでもレーニンは何とかしてこのスターリンを亡きものにしようと必死であったことは、彼が書いた二通の遺書によって明確である。
 一九二四年レーニンが亡くなり、スターリンが政権の座に着いた。スターリンはグルジア人である。彼はユダヤ的な発想はなく、むしろロシア的感覚に近いものを持っていた。
 スターリンと言えば粛清を思い出す。その犠牲者は百万、あるいは二百万人に及んだとも言われている。そのほとんどの人々がユダヤ系の人々であった。スターリンはユダヤ革命であったこの革命を、本来のロシアのための革命として取り戻そうと粛清を行なったのである。その猛威を振るったスターリン恐怖政治の中でユダヤ人たちは、ある者は殺され、ある者はスターリンに対して絶対的服従を誓った。また身も心も自分たちが考えた共産主義に完全に浸っていたユダヤ人たちもあった。
 そして第二次世界大戦におけるソ連の勝利。スターリンは東ヨーロッパを含めた膨大な地域を手の中に入れることができた。これらの地域をいかにして治め、自らの支配下に統制していくか。これは大きな課題であった。
 スターリンは自分に完全な服従を誓い、恐怖の中でうちしおれるユダヤ人たちを東ヨーロッパ諸国に送ったのである。あるいは送らないまでも、それぞれの国でナチス・ドイツに迫害されたユダヤ人たちをその国の支配階級に打ち立てたということは、実に巧妙な政治的やり方であった。東ヨーロッパ諸国は放っておいてもソ連やスターリンにまで目をやらず、当面の敵としてユダヤ人たちを目のかたきにする以外にない。
 このようにしてスターリンの東ヨーロッパ諸国支配は始まったのである。
 先ほど書いたように欧米においてユダヤ問題はタブー中のタブーである。彼らはそれに触れなくとも、そのユダヤ問題を含めてすべての事件を読み取ることができる。しかし日本においてはユダヤ問題はタブーとはなってはいない。
 日本人の多くは、ユダヤ問題が何であるかわからない。かわいそうな民族、迫害された民族、ナチス・ドイツによって虐げられ死に瀕した民族としか読み取ることができない。それこそマスコミを支配している彼らによってつくられた彼らのプロパガンダのための宣伝であることもわからないのである。それに対して欧米人ならば言葉になっていない部分をも十分に読み取ることができる。

宇野正美著『ドイツ第四帝国の勃興とユダヤ戦略』より


多少ホロコーストと内容は外れてしまいますが、色々と裏がありますもので……


ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その1〜
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-6.html
ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その2〜
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-23.html
ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その1〜
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-31.html
ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その2〜
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-61.html
ホロコースト考 第三回 〜『タルムード』とは何か〜
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-68.html
ホロコースト考 第四回 〜『シオニズム』とは〜
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-72.html
ホロコースト考 第五回 〜パレスチナの悲劇〜
http://ameblo.jp/maokapostamt/entry-10014715905.html
ホロコースト考 第六回 本当の犠牲者数は?
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-59.html


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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 14:52
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ホロコースト考 第六回 本当の犠牲者数は?
ドイツ第三帝国、とりわけヒトラー総統及び党が虐殺したユダヤ人の犠牲者は六百万と言われています。
(本来、『ユダヤ教徒』と呼ぶべきですが、原文と同様『ユダヤ人』と表記します)

しかし、ニュルンベルク裁判でもその検証は全くなされていません。

では、実際はどうなんでしょうか?


一九三八年(ポーランド侵攻の前年です)版『世界年鑑』では、一六、五八八、二五九人とされています。

これを便宜上、一六六〇万人とします。

一方、『ニューヨーク・タイムズ』、一九四八年二月二二日号では、最小で一五〇〇万人、最大で一八〇〇万人とされています。

一九三八年〜一九四八年の間に、最大で一四〇万も増えたの??


一九三九年『チェンバーズ百科事典』によれば、「ナチ・ヨーロッパ」[ナチス・ドイツの支配下にはいったヨーロッパ]のユダヤ人の人口は、六五〇万人となっています。

中立国のスイスで取られた統計によると、一九三三年から四五年の間に、一五〇万人のユダヤ人が、イギリス、スウェーデン、スペイン、ポルトガル、オーストリア、中国、インド、パレスチナ、アメリカに移住しています。

そうなると、ヨーロッパのユダヤ人の人口は約五〇〇万人に減少していることになるはずです。

そのうち、ポーランドなどからソ連に移住したのが約一五五万人、連合国側と中立国で生きのこっていたのが四〇万人以上となっているので、さらに引くと、ドイツの支配下にのこっていたのは約三〇〇万人あまりにしかならず、その全部が収容所にはいっていたわけではありません。

ユダヤ人の国際組織の推定によると、「ナチの地獄を生きのびた」ユダヤ人の数は、一、五五九、六〇〇人となっています。

これを約一五六万人とすると、ナチス・ドイツの支配下で減少したユダヤ人の人口の総数は、約一五〇万人以下となります。

しかし、その後「ホロコーストの生きのこり」を名乗る数はふえつづけています。

その数を合計すると、一九九四年現在で、「ホロコーストの生き残り」は約三四二万五千人まで増えているのです。

となると、六百万という数字の信憑性は全くないと考えられます。


ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その1〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=12
ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その2〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=40
ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その1〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=47
ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その2〜
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ホロコースト考 第三回 〜『タルムード』とは何か〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=84
ホロコースト考 第四回 〜『シオニズム』とは〜
http://maokapostamt.jugem.jp/?eid=88
ホロコースト考 第五回 〜パレスチナの悲劇〜
http://ameblo.jp/maokapostamt/entry-10014715905.html


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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 17:09
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ホロコースト考 第五回 〜パレスチナの悲劇〜
ドイツ第三帝国が降伏し、大日本帝国が降伏した後、難を逃れたユダヤ教徒は、約束の地パレスチナを目指す事になります。

しかし、彼らが入植する前、ユダヤ・テロリストグループが既にパレスチナに潜入し、テロ行為を起こしていました。

このユダヤ・テロリストグループの行為により、大量のパレスチナ難民が発生するきっかけが作られたのです。

■ダヴィデ王ホテル事件
 九五名の英国人とアラブ人が殺害される。

■ナタニヤ事件
 二名の英国人軍曹がリンチされ、首を吊るされた。

■デイア・ヤシイン村事件
 この村は周辺のユダヤ人と協定を結んでおり、争いに巻き込まれないように務めていた。
 しかし、一九四八年四月九日、デイア・ヤイシンという小さな村が襲われた。
 攻撃に対して、最初の男たちの抵抗がやむと、住民達は広場に集められ、壁に向かって並べらさせられて射殺され、その死体は井戸に投げ込まれた。
 イギリス当局はこの事件の調査を拒否、アラブ人は国際赤十字に依頼して事実を調べさせた。
 スイス赤十字代表ジャック・ド-レニエは最初の現地調査団を引き連れて現場に赴き、一五〇の死体が水溜めに放り込まれ、他の四〜五〇体がその傍にあるのを認めた。
 総計二五四人が虐殺され、そのうち一四五名が女性、さらにその中の三五名が身重だった。
 しかし、ド-レニエが到着した時、未だテロリスト達は行動中で、村人をライフル・ピストル・ナイフなどで村人の殺害を続けていた。


この様な事件が繰り返され、所有者が逃げ出したり、虐殺を行ったのち、村を更地にして痕跡を消し、あたかも元々所有者がいなかったように装って無理矢理押し入ったのです。


地区名1948年以前の村の数現在の村の数破壊された村の数
エルサレム33429
ベツレヘム707
ヘブロン16016
ヤッファ23023
ラムレー31031
リダ28028
イエニン844
ツル・カレム331221
ハイファ43835
アコ523220
ナザレ26206
サファド75768
チベリアス26323
ベイザン28028
ガザ46046
47590385

アルフレッド・M・リリアンソール著 ユダヤ・コネクション(1991年)より




ユダヤ教徒(シオニスト)は徹底した破壊と略奪を行い、バルフォア宣言と虚構のホロコースト神話を武器に、強引にイスラエルを建国します。

それにアラブ諸国が一斉に反発して第一次中東戦争が発生するのです。




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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 10:23
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ホロコースト考 第四回 〜『シオニズム』とは〜
■ホロコースト考 第四回 〜『シオニズム』とは〜

これまで、要所に出て来た『シオニズム』ですが、今回はその説明をしたいと思います。
『シオニズム』とは本来、「国を持たないユダヤ人が祖国を得、イスラエルに帰還し、イェルサレムに宗教的中心としての神殿を建設する事を目標とする運動」でした。
それがいつの間にか、イスラエルを建国し、そのイスラエルを拡大、『大イスラエル帝国』を樹立して最終的に「大イスラエル帝国を中心とした世界支配」を企むユダヤ教徒を指す言葉に変質してしまいます。
しかし、この大イスラエル構想は自壊する事があらかじめ決まっているようです。

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(略)今日“シオニスト”とはエルサレムを中心として世界支配を目論む人々をいう。が、結論からいうとこれは決して成功しないだろう。その最終的な段階において“大イスラエル”は自壊するからだ。『新約聖書』のプログラムには、はっきりと大イスラエルの崩壊が記されている。

『ユダヤ 幻想の歴史 彩 明日迦著』より
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シオニストはアシュケナジー・ユダヤ人だけではなく、スファラディ・ユダヤ人もいます。
また、彼らに協力する様々な人種・民族も居ます。
彼らは宗教的幻想によって世界支配を成し遂げようと日夜画策しているのです。
前回までに述べたように、ユダヤ教の根本は「タルムード」から来ています。
その「タルムード」では徹底的に「ユダヤ人のみが人間であり異邦人は動物である」と子供の頃から繰り返し選民思想を植えつけるのです。
「人間である自分たちがこの世界を支配し治めることは神の御旨である」という馬鹿げた論理によって。

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これらのすべてのことは先ほども述べた『タルムード』から来ている。『タルムード』にはこのように書かれている。
「すべてのイスラエル人は正しく、そして永遠の命を受け継ぐ」(Sanhedrin 11・1)
「イスラエルの行為は正しい。しかし異邦人は罪だけしかできない」(Baba Bathra 10b)
「イスラエル人は、すべての知恵の九○%を所有している。他の一〇%は異邦人の間で広がっている」(Kiddushin 99b)

『見えざる帝国 宇野正美著』より
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しかし、「タルムード」による選民思想とは別に、もう一つ、世界支配の夢をしつこく繰り返すのは『カバラ』と言う書なのです。

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『ゾハール(Zohar)』(カバラの教典、光耀篇)はこのことを実際に既成の事実として触れている。
カバラにおいては、ゴイム(ユダヤ教徒にとって異教徒)は人間として否定される。ユダヤ人だけが人間として造られており、ユダヤ人が全世界を統治すべきであり、他の民族は殺されても然るべきであることを彼らは確信している。
だから世界支配の願望は、反ユダヤ主義者によってユダヤ人のものだとされた思想ではなく、ユダヤ人にとって全く現実的で不可欠な伝統であるのだ。

『ユダヤ 幻想の歴史 彩 明日迦著』より
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第五回へ続く



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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 10:33
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ホロコースト考 第三回 〜『タルムード』とは何か〜
■ホロコースト考 第三回 〜『タルムード』とは何か〜

ユダヤ人はよく、ロシアやヨーロッパ(特にドイツで)追害された民族だということを言われます。

何も知らない子供の頃にナチス・ドイツがユダヤ人を地上から絶滅させようとした、その中で『アンネの日記』を記述した(と言われている)アンネ・フランクの様に、幼い子供までが殺された、と繰り返し聞いてきました。

また、ドイツでは人種差別・民族差別がひどいから、ユダヤ人が大量に殺されたと聞いていました。

だけど、ここで思考停止してしまうと、事の本質を誤ってしまいます。

ここでの問題点は、加害者側の動機が意図的に隠され、『人種差別』や『民族差別』で片付けられてしまっている事です。

『ユダヤ人』に対する差別、迫害があたかもドイツ第三帝国のみが行っていたかの様ですが、実際はヨーロッパで『ユダヤ人』が住んでいた地域では起こっていた事です。

ではなぜ、キリスト教の大元のユダヤ教を信奉しているはずのユダヤ人が、キリスト教と激しく対立したイスラム教以上に迫害されるのでしょうか?

差別や迫害であれば、その原因が存在するはずです。

しかし、『ユダヤ人問題』に対しては、原因が語られません。

白人が有色人種を差別するのは、キリスト教では人間と動物が明確に区別されていて、人間の側には白人種のみ含まれ、有色人種は動物側に含まれてしまう事が原因なのです。

また、日本でもよく「民族差別された」と声高に叫ぶ特定民族が居ますが、基本的に日本では差別は存在しませんし、その原因も「差別されたと叫ぶ特定民族側に何らかの原因があった」りするのです。

前回に語ったように、アシュケナジー・ユダヤ人とは本来のユダヤ人ではなく、元々は改宗したカザール人であり、ユダヤ教徒なのです。

ユダヤ教徒はカザール人の他に定住先で改宗した様々な民族や人種も含まれますので、人種や民族に対する差別は当てはまりません。

現に戦前のヨーロッパでは、日本人が一番住みやすかった国はドイツ第三帝国だったと言う事実があり、ドイツでは民族差別がそれほどではなかった事を物語っています。

アシュケナジー・ユダヤ人は自分達を『ユダヤ人』だと騙っている為、人種差別だと言っているのです。

そのアシュケナジー・ユダヤ人が信奉しているのは、普通言われているような『旧約聖書』ではなく、『タルムード』です。

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あるときイスラエルで政府高官と話をしていたとき、彼はつぎのようにいった。
「日本人であるあなたのほうが旧約聖書をよく知っている。
モーセの五書であるトーラのほか、預言書にいたるまであなたはよく研究している。
それにくらべてイスラエルの国会議員や一般のユダヤ人はほとんど旧約聖書を知らない。
『イザヤ書』『エレミヤ書』『エゼキエル書』などはまったくといってもいいほど知らないだろう」

見えざる帝国 宇野 正美著 より抜粋
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では、『タルムード』とはどういった経典なのでしょうか?

『タルムード』は紀元前のバビロニアで誕生しました。

前述『ユダヤ人とは誰か?』で記述した様に、『バビロン捕囚』でユダ王国が滅ぼされて、バビロニアに連行されていきました。

数十年経ち、その子孫達が元のユダヤの地に帰ってきたときには、すでにバビロニアの宗教の強烈な影響を受けていました。

その宗教の指導者はパリサイ人と呼ばれます。

新約聖書を読むと、よくイエスと対決するパリサイ人が登場しますが、彼らの多くはこの宗教の影響を受けています。

そして、そのバビロニアの宗教の影響から生まれた『タルムード』では、ユダヤ人のみが人間であり、そのほかの民族、すなわち異邦人はすべて動物であると繰り返し述べているのです。

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「ユダヤ人は人と呼ばれるが、異教徒は人とは呼ばれない」(Kerithuth 6b)
「異教徒の種は動物の種と同じ価値である」(Kethuboth 3b)
「異教徒は動物と性交渉している」(Abhodah Zarah 15b,22a)
「異邦人は単に動物であるので異邦人の子供たちは法律上私生児である」(Yebamoth 98a)
この『タルムード』を信じてユダヤ教に改宗したのがカザール人である。
彼らは旧約聖書はほとんど知らず、この『タルムード』を受け入れた。
その『タルムード』の中には、今日の世界管理、世界支配の根底になる思想がある。
「暴利は異教徒や背教者に使用される」(Abhodah Zarah 54a)
「ユダヤ人は異教徒を有罪にするためには偽り、偽誓する」(BabhaKama 113a)
「ユダヤ人はやましさのない心で偽誓する」(Kallah 1b)

彼らがそれを実行しようとしたがゆえに、宗教的にも思想的にも経済的にも、既存のヨーロッパのキリスト教社会と衡突したのである。

見えざる帝国 宇野 正美著 より抜粋
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ヨーロッパにおける『ユダヤ人問題』とは、『タルムード』の教義に端を発した宗教戦争の一種なのです。

『タルムード』はすべての人問のための公正の法ではなく、ユダヤ人のみに対して適用される厳格な規範であり、ユダヤ人は結局世界を支配しなければならない神の選民であるという思想が、実際にラビによるユダヤ教の基礎となっているのです。

そして彼らがその卑俗で独善的で破廉恥な選民思想を実行しようとした為に、宗教的にも思想的にも経済的にも、既存のヨーロッパのキリスト教社会と衝突したのは当然のことでしょう。

「選民思想」とはすなわち単なる「差別思想」の言葉遊びなのですから……。

彼らアシュケナジー・ユダヤ人たちはどの国家、どの民族の中に行こうと、その国の人々と同化することはありません。

考え方や信仰が違うばかりか、自分たちこそ、という意識を持ちすぎたのです。

その為、どこで生活していても、自分達だけでコミュニティを作り、ヨーロッパ社会で汚い手を持った人によって行われる卑しい業務と考えられていた、商業・金融業などを生業に生活していました。

『タルムード』にも書かれているように、金融業でも同じアシュケナジー・ユダヤ人からは利息を取らずに貸し、異邦人からは暴利を貪るというような事を行っていました。

ひどい時には、生活の糧である家畜や農地、さらには配偶者まで担保に強奪したような事もあったようです。

その為、その国や地域でアシュケナジー・ユダヤ人への鬱憤が爆発した時、襲撃や略奪、またポグロムと呼ばれるようなアシュケナジー・ユダヤ人に対する虐殺が起こったのです。

そして当のアシュケナジー・ユダヤ人は国境を越えて宗教を同じくする者たちと深い絆で結ばれていったのです。

ただ、すべてのアシュケナジー・ユダヤ人が『タルムード』的発想を持っているとは限りません。

少数ながらそれに頑固に抵抗している人達もいますが、このような人達は圧倒的に少数派です。

ほとんどのアシュケナジー・ユダヤ人たちはタルムード的発想に忠実なのです。

ある人は自分は『タルムード』を読んだことはないと言うかも知れませんが、その発想の中にはタルムードが生きているのです。

彼らは『タルムード』の教義を幼い頃から繰り返し教育し、ユダヤ人は他の民族に比べて優秀であるばかりか、神に選ばれた『選民』であるという意識を植え付けるのです。

この問題はヨーロッパでは言わずと知れた問題だったのですが、ドイツ第三帝国の崩壊と共にホロコースト神話がこの問題を世界最大のタブーとしてしまったのです。



第四回へ続く



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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 09:37
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ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その2〜
■第二回 ユダヤ人とは誰か? その2

現在、イスラエルに住む90%のユダヤ人とは何者でしょうか?
彼らは一般に、『アシュケナジー・ユダヤ人』と呼ばれています。
私達が現在、ユダヤ人と聞くと思い浮かべるのは、アルバート・アインシュタインに代表される『アシュケナジー・ユダヤ人』なのです。
それに対し、先のユダヤ人は『スファラディ・ユダヤ人』または『アラブ・ユダヤ人』と呼ばれています。
「アシュケナズ」とは、ノアの息子、ヤフェトの子孫であるゴメルの子です。
『アシュケナジー・ユダヤ人』と呼ばれる彼らは、かつて中央アジアに住んでいたトルコ系の人々であり、ソ連や東欧、主にポーランドでコミュニティを作っていた『カザール(ハザールとも)』という民族なのです。
この事は、アーサー・ケストラーというユダヤ人作家が『ユダヤ人とは誰か?』という書で詳細な考証を行っています。

カザール人は今から一千年以上前、中央アジアに帝国を作っていました。
しかし、ロシア正教・ロシア帝国、キリスト教・ビサンチン帝国、イスラム教・アラブという強大な勢力に囲まれていて、それぞれから改宗を迫られていました。
しかし彼らはどちらにも改宗しませんでした。
なぜなら、改宗したところで他方を敵に回してしまうのが理由です。
そこで人種的にではなく、宗教的にユダヤ人になれば、他宗教からの憎悪を上手くかわす事が出来る、そう考えた彼らは西暦七四〇年に両宗教の根本であるユダヤ教を国教として全国民が改宗したのです。
つまり、彼らは厳密には『ユダヤ人』ではなく、『ユダヤ教徒』なのです。



「カザール人は今日ユダヤ人として偽装している」

H・G・ウェルズ『歴史の輪郭』より

「時の経過に伴って、ロシア人を憎みバビロニア・タルムードの下で生活していたこれらのカザール人は、彼らの居住地と経典からロシア系ユダヤ人として知られるようになった。」

元アメリカ情報局員コール・ジョン・ビューティ『アメリカを覆う鉄のカーテン』より


『見えざる帝国 宇野 正美著』より転載



カザール人がユダヤ教に改宗して百年後、東から蒙古が侵入して来ました。
彼らはその情報を受けると、難を避ける為に北方に移動して行きました。
そして、ロシア、東欧(主にポーランド)、ドイツなどに流入していったのです。

そして、一九四八年、『ヨーロッパにおける迫害およびナチスによるホロコースト』と『バルフォア宣言』を理由に『ユダヤ人国家イスラエル』が、狂信的なシオニズムを信奉するアシュケナジー・ユダヤ人武装組織のテロによるパレスチナ人の虐殺から強引に建国されるのです。
本来なら、黒海北方のカザール帝国に帰還するのが筋なのですが、本来のユダヤ人『スファラディ・ユダヤ人』を虐げながら、未だにパレスチナの地を占拠し、自らをユダヤ人と騙っているのです。



そもそもユダヤ人とは何か。ユダヤ人として生まれたことは必要条件でしかない。
ユダヤ教を信奉してこそ、初めてユダヤ人だと認められる。

私はユダヤ人の両親から生まれたが、自分をユダヤ人とは思っていない。
私はユダヤ教を信じない。安息日にも休まない。
私はアメリカ人であるが、ユダヤ人ではない。
ユダヤ人がユダヤ人であるためには、何よりもユダヤ教徒でなければならないのだ。


コロンビア大学名誉教授ハーバード・パッシン(『文芸春秋一九八七年四月号)
『ユダヤ 幻想の歴史 彩 明日迦著』より転載

(強調、下線は管理人による)

『ユダヤ人国家イスラエル』が一九七〇年に制定した「帰還法」によれば、ユダヤ人の定義は「ユダヤ人を母とする者、およびユダヤ教に改宗した者」とあります。
だから、たとえ『アシュケナジー・ユダヤ人(=カザール人)』であったとしても、「ユダヤ人」である、という詭弁が成り立つのです。



第三回へ続く





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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 10:14
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ホロコースト考 第ニ回 〜ユダヤ人とは誰か? その1〜
■第二回 ユダヤ人とは誰か? その1


現在、ユダヤ人というと恐らくイスラエル人を指すと思う人が多い事だと思います。
しかし、その認識は正しくありません。実は現在、イスラエルに住む「ユダヤ人」には2種類の人がいるのです。
ユダヤ人とは何者かを説明するならば、話は古代イスラエル王国に遡らなければなりません。

ユダヤ人とは本来、古代イスラエルに居た十二の支族の内、ユダ族の末裔です。
古代イスラエル王国からは二つの民族が誕生します。
ユダ族(ユダヤ人)とイスラエル族(失われた十支族)です。
ユダ族とイスラエル族の確執から紀元前九二二年、南北イスラエル王国に分裂しました。
この辺りの経緯をキチンと語るとなると旧約聖書丸々全ての解説が必要となるのでここでは触れない事にし、大まかな歴史で説明します。
北イスラエル王国は紀元前七二二年、アッシリア帝国により滅亡します。その際、首都に住んでいた貴族階級約三万人を捕虜にしました。これがアッシリア捕囚です。
その後もアッシリア帝国は勢力拡大を続けましたが、新バビロニアとメディアの連合軍により、アッシリア帝国も終焉を遂げます。
北イスラエルの十支族は「列王記」、および「歴代史」より、アッシリア捕囚より三百年後まで、その存在を確認できます。しかし、その後記述が一切なくなり、歴史の表舞台より姿を消してしまいます(一説には日本の天皇家もその内の一支族と言われている)。


一方、ユダ王国(南イスラエル王国)はアッシリア帝国の滅亡後、バビロニアに隷属していたが、アッシリア滅亡後二十五年たった時、バビロニアに反旗を翻します。
その結果、王は捕らえられ、王子は全て殺されてしまいました。
さらに翌年には町は焼き払われ、エルサレムに居た民のうち、貧民を除き全ての民がバビロニアに連行されました。これが『バビロン捕囚』です。
ユダヤ人は達はそれまで『旧約聖書』の影響のみ受けていました。しかし、『バビロン捕囚』の間に彼らは変節してしまったのです。彼らは、捕囚中、バビロニアの宗教や商法に触発され、『旧約聖書』とは全く違った発想を持つようになってしまいました。それが「タルムード(教訓)」と呼ばれる物です。
その後紀元前五三七年、ユダヤ人達は解放されて、再びパレスチナに戻る事になりますが、その後様々な事情を経て、スペインに流れていきます。
彼らは一四九二年までスペインに居ました。その後スペインから追放されて、北アフリカへと移住し、アラブ人と共に生活していました。
彼らはアブラハムからイサク、ヤコブの血を引いていて、容貌はアラブ人とほぼ同様です。そして、現在のイスラエルにおいて彼らの人口はたったの10%にしか過ぎないのです。


では、イスラエルに居る残り90%を占めるユダヤ人とは一体何者なのでしょうか?


その2へ続く





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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 10:02
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ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その2〜
■第一回 アンネの日記 その2

エルンスト・ロエマーは『アンネの日記』がフィクションである事を追及し続けた。
そして、ドイツの『シュピーゲル』誌がロエマーの訴えに対するドイツ連邦犯罪調査事務局の調査結果を発表した。
『シュピーゲル』誌によると、『アンネの日記』の原本は長い間、全巻が発表されておらず、この裁判の結果、第四冊目が調査される事になった。
その結果は実に奇妙なものであった。
まず、その第四冊目はボールペンで書かれていた。一般にボールペンが発売されて、広く使われるようになったのは一九五一年以降だと言われている。
その頃アンネ・フランクは既に故人となっている。
しかも、その第四冊目の筆跡を鑑定した結果、筆跡がそれまでの原本と同じであった。
この事から、この日記を書いたのはアンネ・フランクではない、と結論付けられたのである。

一九八九年九月十六日、ロバート・フォアリスンという男性が、犬を連れて公園を散歩していた。
そこへ三人の若者が襲い掛かった。
彼らは出会い頭に催涙ガスをかけ、倒れたフォアリスンの頭や胸などを数十回に渡って蹴り上げ、瀕死の重傷を負わせたのだ。
事件後、ただちに犯行声明が出された。

「ロバート・フォアリスンは一人目であって、これで終わりではない。SHOAHを否定する者たちは用心せよ

                                         ユダヤ歴史継承団」
※SHOAH ヘブライ語でホロコーストの意。

ロバート・フォアリスンはリヨン第二大学の教授であり、第二次世界大戦中にナチス・ドイツがユダヤ人絶滅計画を出してもいないし、実行してもいないという事を主張し続けており、数冊の本も出版していた。
その中には『アンネの日記は本物か』というものもあった。

アンネ・フランクはベルゲン・ベルゼン収容所で「チフス」により亡くなった。
これは事実であろう。
しかし、『アンネの日記』はアンネ・フランクとは関係なく、シオニストによる単なるプロパガンダ用の小説であると考えられる。

第二回に続く



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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 10:11
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ホロコースト考 第一回 〜アンネの日記 その1〜
■第一回 アンネの日記 その1

皆さんは『アンネの日記』なるものをご存知でしょうか。
世界史を習うと必ずと言っていいほど第二次世界大戦にセットで付いてくると思います。また、長年ベストセラーになっているのは日本だけのようです。
実はこの時点ですでに刷り込みが存在しています。『アンネの日記』と言うのは、主人公のアンネ・フランクが記述したものではなく、メイヤー・レビンというアシュケナジー・ユダヤ人が、アンネの父から依頼されて書いた小説なのです。
私はドイツ語は少ししか知らないので、原文がどうなってるか確認できないのですが、どうやら原文はとても十三歳の少女が書いたとは思えない、まったくの大人の文章だと言われています。また、日本人のドイツ語学者の言によると、その文章は大人びているだけでなく、古典的ドイツ語で書かれているらしいのです。

アンネ・フランクはオランダで生まれたアシュケナジー・ユダヤ人で、十三歳で死亡しています。なので当然、オランダ語を話します。また、オランダはドイツと国境を接しているので、多少のドイツ語の知識はあったかも知れません。しかし、古典的ドイツ語を操れるほど堪能だったのでしょうか?

「エコノミック・カウンシル」誌 1959/4/15

『アンネの日記』は十代の子供が書いたとは思えない。この事についてニューヨーク最高裁判所の判決から裏付けを取る事が出来る。
アメリカのユダヤ人作家メイヤー・レビンが、アンネ・フランクの父オットーから、この日記に関する作成に対する謝礼金として五万ドルを受け取ったと認めている。フランクはこのレビンに五万ドルを払い、その後レビンの作品をまるで白らの娘の作品のようにしてしまったのである。
……(中略)……
この最高裁の判決の書類2241−1956はニューヨークの地方事務所にあるはずなのだが、残念なことにこのファイルはいまやいずこかへ消えてしまっている。
『アンネの日記』は一九五一年、出版後ただちにベストセラーになった。しかしなぜアンネの父を巻き込み、本の真実性を追ったこの裁判が、今日公に報告されることがないのだろうか。オットー・フランクがその娘の死、およびその悲劇から膨大なカネを儲けたというのに

(「見えざる帝国 宇野正美著」より転載)

また、スウェーデンのジャーナリスト、ディトリィェブ・フェルデュラーはこの様に証言しています。

^豢絽浙綰、映画『アンネの日記』が作られたとき、アンネが住んでいたというアムステルダムのオリジナルの建物を、日記に書いてあるように改装してもよいと言われたという。
⊇住虻个両女が冒頭でフランク家の歴史を語り、そのすぐ後にドイツの反ユダヤについて語っているのは何故か?
H狃は本文中で『オランダ風の階段』と語っているが、彼女はオランダでしか育っていない。


一九八〇年十月九日の「ニューヨーク・ポスト」には、エルンスト・ロエマーなる人物が『アンネの日記』は真実ではなく、フィクションである事を追及し続け、裁判に持ち込んだ記事が書かれています。そして、二度目の裁判で彼の主張は正当であると認められているのです。

その2へ続く


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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]ホロコースト, 13:38
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