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韓国人が知らない黒人


William

William Edward Burghardt DuBois
1868年2月23日 - 1963年8月27日
アメリカの黒人公民権運動指導者および社会学者。





DuBoisは、MassachusettsでAlfred Du BoisとMary 夫妻の間に生まれた

彼は高校時代から人種問題に対して関心があった。

Harvard Collegeへの入学を望んだが経済的問題でこの夢は叶わなかった。

代わりにTennesseeのFisk Universityに入学した。



Fisk Universityの入学はDuBoisのアメリカ南部への最初の旅行になり

ここで人種隔離政策とジム・クロウ法に初めて直面した。

夏の間にDuBoisはTennesseeの田舎の公立小中学校で教え

貧困と栄養失調からの病気に対する深い洞察力を得た。



Fisk Universityを卒業した後に奨学金でHarvard Collegeで

哲学と歴史を学ぶことができた。



1890年に文学士号を得たDuBoisは、続いて大学院での研究を始める。

1895年にHarvard Collegeから博士号を受け取る

最初のアフリカ系アメリカ人となった。



アフリカ系アメリカ人の置かれた状況について長年研究し

人種問題に社会科学を適用した。





日露戦争


1905年
日露戦争


William Edward Burghardt DuBois

ヨーロッパによる支配から有色人種を解放してくれる
可能性のもっも高い国は日本だ。

日本が勝てば、やがて「アジア人のためのアジア」を
声高に叫ぶ日が来るだろう。

それは、彼らの母なる大地アフリカに
同じような声がこだまする前兆となる。


黒人系新聞
Indianapolis Freeman



東洋のリングで、茶色い男たちのパンチが
白人を打ちのめし続けている。

事実、ロシアは繰り返し何度も、日本人にこっぴどくやられて
セコンドは今にもタオルを投げ入れようとしている。

有色人種がこの試合をものにするのは、もう時間の問題だ。
長く続いた白人優位の神話が
ついに今突き崩されようとしている。

日露戦争は、有色人種は白色人種に決して勝てないと言う
ヨーロッパ人による世界侵略の近代史で生まれた神話を
事実として否定してみせた。





ウィルソン

1919年
パリ講和会議


第一次大戦の惨禍を再び繰り返すことのないよう
国際連盟創設のための議論が進められた。

アメリカの黒人たちが注目していたのは国際連盟規約に
「人種平等の原則」を入れるという提案を掲げて参加した日本だった。

日本の全権使節団がパリに向かう途中のニューヨークで
Boston・Guardianの編集長など、黒人社会の指導者4人が
「世界中のあらゆる人種差別と偏見をなくす」ことに
尽力してほしいと嘆願書を出した。

自国のウィルソン大統領が講和会議の議長役をするのに
わざわざ日本の使節団に嘆願した。


全アメリカ黒人新聞協会

われわれ(米国の)黒人は講和会議の席上で
「人種問題」について激しい議論を戦わせている日本に
最大の敬意を払うものである。



しかし、日本の提案は16カ国中、11カ国の賛成票を得たが
議長のアメリカ大統領ウィルソンとイギリス、オールトラリアの
「全会一致でない」という詭弁によって退けられる。

アメリカの黒人は、自国の政府の措置に怒り
全米で数万人もの負傷者を出すほどの大規模な暴動が続発した。




ベニト・ムソリーニ


1936年
イタリアのエチオピア侵略


アメリカの黒人たちは、アフリカ唯一の黒人独立国を
「最後の砦」として支援しようとした。

アメリカ政府の消極的な姿勢に比べて
日本が国際連盟以上にエチオピア支援を訴えた事は
アメリカの黒人たちの心を動かした。


Chicago・Defender

日本の宇垣一成大将の言葉

イタリアとエチオピアの争いでは、日本は中立になるわけにはいかない
エチオピアの同胞を助けるためには
いつでも何千という日本人がアフリカに飛んでいくだろう

Pittsburgh・Clear

エチオピアに特派員の報告

エチオピア兵が日本でパイロット訓練を受けた
戦闘機の提供まで日本が示唆していた





1936年


DuBoisは、満州に1週間、中国に10日間、日本に2週間滞在して

Pittsburgh・Clearに「忘れがたい経験」と題したコラムを連載する。


DuBoisが東京の帝国ホテルで勘定を払っている時に

「いかにも典型的なアメリカ白人女性」が

さも当然であるかのように、彼の前に割り込んだ。


ホテルのフロント係は、女性の方を見向きもせずに

DuBoisへの対応を続けた。



勘定がすべて終わると、彼はDuBoisに向かって

深々とお辞儀をし、それからやっと

その厚かましいアメリカ女性の方を向いたのだった。



フロント係の毅然とした態度は

これまでの白人支配の世界とは違った

新しい世界の幕開けを予感させた。


「母国アメリカではけっして歓迎されることのない」一個人を

日本人は心から歓び、迎え入れてくれた。



日本人は、われわれ1200万人のアメリカ黒人が

同じ有色人種であり、同じ苦しみを味わい

同じ運命を背負っていることを、心から理解してくれているのだ。


この旅で、DuBoisは日本人と中国人との違いを知る。



上海での出来事だった

DuBoisの目の前で4歳くらいの白人の子どもが

中国人の大人3人に向かって、どくように言った。



すると、大人たちはみな、あわてて道をあけた。

これはまさにアメリカ南部の光景と同じではないか。


上海、この世界一大きな国の世界一立派な都市は

なぜか 白人の国によって支配され、統治されている。



それに対して、日本は有色人種による

有色人種の、有色人種のための国である。





1945年


WW2が始まると、アメリカの黒人社会の世論は割れる


人種問題はひとまず置いておいて母国のために戦おう


勝利に貢献して公民権を勝ち取ろう


黒人を差別するアメリカのために戦うなんて、馬鹿げている



William Edward Burghardt DuBois

アメリカが日本人の権利を認めてさえいれば

戦争は起こらなかった




軍隊の中でも差別に苦しめられていた黒人兵たちにとって

白人のために、同じ有色人種である

日本人と戦わなければならない理由は見いだせなかった。


黒人部隊の白人指揮官



隊の95%は戦う気力がまったくない。


黒人兵の間では、やりきれない気持ちがジョークを生んだ。


墓石にはこう刻んでくれ。



白人を守ろうと

黄色人種と戦って命を落とした黒人、ここに眠ると。








1964年7月2日


公民権法(Civil Rights Act)

制定。










【ソース】enjoy korea
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmilitary&nid=33625

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author:玉置 麗華, category:[国内]日本史, 16:29
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