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【台湾】明石総督をしのび墓参 台北市郊外
明石総督をしのび墓参 台北市郊外

台湾 台灣 明石元二郎
台湾北部・台北県三芝郷にある明石元二郎・台湾総督の墓に墓参した孫の元紹氏(左)ら

 台湾の日本統治時代に第7代総督を務めた福岡市出身の軍人・明石元二郎(1864‐1919)をしのぶ集いが、墓がある台北市郊外の台北県三芝郷の福音山キリスト教墓園などで行われた。

 明石総督の孫で東京在住の明石元紹(もとつぐ)氏(73)や、2000年に墓を現地に移すのに尽力した楊基銓・元経済部(経済省)次官の遺族ら日台の関係者約100人が参加。墓参りをし、台湾の近代化に果たした功績をしのんだ。元紹氏は「台湾の方々のおかげで90年も前の日本人がこの地で眠れているのはありがたい。祖父は無欲な人で、こんな立派な墓は『おれにはもったいない』と言うに違いない」と語った。

 明石総督は日露戦争当時、ロシア革命を支援して戦局を有利に導いたことでも知られる。1918年に台湾総督に就任し水利事業や教育改革などを行った。翌年、現職のまま福岡で病没。遺言で遺体は台北に埋葬された。

 しかし戦後、国共内戦で敗れた蒋介石政権とともに台湾に逃れた国民党軍の兵士らが墓地に住みつき、墓は住宅の下に埋もれたままとなった。97年に同地が公園になることで遺骨が掘り出され、日台友好を願う地元の民間団体などの協力で現在地に墓が作られた。 (台北・遠矢浩司)

西日本新聞
http://www.nishinippon.co.jp/nnp/world/asia/20070625/20070625_001.shtml

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明石元二郎氏といえば、日露戦争での諜報活動が有名ですが、台湾の日月潭ダムを作った人でもあります。

今日でも高く評価される大型発電所とダム建設

 台湾には日月潭[にちげつたん]という有名な観光地がある。現在発行されている台湾のガイドブックには、なぜかみな「天然の湖」と書いてあるが、実は天然ではなく、明石元二郎総督時代に建設が着手されたダムなのである。前述の『明石元二郎』(下巻)には、総督の業績として官制の改革、教育令と森林令の発布、三審制度の実施のほかに、中部海岸鉄道の新設、嘉南大圳事業そして台湾電力株式会社(日月潭水力発電事業)の設立があげられている。
 当時、明石総督は高雄港の自由港建設や日月潭ダムなど、巨大インフラ建設のプロジェクトに取り組んでいた。日月潭ダムは、台湾でいちばん長い河川である濁水渓[だくすいけい]を上流からトンネルや地下水路を掘って導き、低地に堰堤[えんてい]を築いて日月潭を巨大ダムとし、最大一〇万キロワットの電力を北は台北から、南は高雄まで送電する一大総合プロジェクトだった。総工費は四八○○万円、完成まで五年を予定した。結果的に総工費は、追加予算を含めて六八○○万円余りになり、当時の台湾総督府年間予算を超える大プロジェクトになったのである。
 明石総督は東奔西走して半官半民の電力会社を設立し、着工までこぎつけた。もともとの日月潭は深山の桃源郷のようなところだったが、このダム開発のために水位が七〇尺あまりも上昇し、湖畔にあった原住民族の村が水没してしまった。
 明石総督は就任した翌年の大正八年一〇月、特別演習の陪観のために東京に帰る途中、船中で病気が重くなり、郷里の福岡で下船し、治療を受けたが、一〇月二四日に死去した。五六歳だった。
 明石総督の本葬は台湾で総督府葬として行なわれ、分骨や遺髪は東京は芝の青松寺にあり、聞くところによれば生地福岡の崇福寺にもある。
『明石元二郎』(下巻)によれば、台湾を離れる九月ニ七日、下村宏総督府総務長官と談話中「もし身上に万一のことがあったら、必ず台北に葬るよう」という遺言があったということだが、たった一年あまりの在任であるにも関わらず、なぜ台湾に骨を埋めようとしたのか、伝記にもその理由は書かれていない。
 この遺言に従い、明石のなきがらは七五歳の母のもとから、任地の台湾へ移送されたのである。
 当時の『台湾新聞』の追悼文には、「総督としてその職に殉ぜる人」「遺躯を永くその任地に留むるのことに於いてをや。将軍生前仲々[ちゅうちゅう]憂国の枕[しん]、死にいたって書より諭さず。その英魂永く本島を鎮護すべきや疑をいれず」などと書かれていた。明石総督は台湾の近代化建設開発プロジェクトに心血を注ぎながら、完成を見ることもできず、心残りがあったことは確かだろう。

黄文雄『捏造された日本史』より



現在では話されませんが、かつての日本には偉人と呼ばれる人がたくさんいました。
これは勿論、戦前の日本の教育レベルが高かった所以です。




王怡仁&楊丞琳


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author:玉置 麗華, category:[台灣]ニュース, 10:22
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