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【歴史】タイガー先生の歴史談義 『倭寇(1)』
イリヤ「ねー、シロウ」
シロー「ん、なんだ、イリヤ?」
イリヤ「日本にもバイキングが居たの?」
シロー「どうして?」
イリヤ「ランサーのサーバントが・・・「日本人もバイキングなんだ」って」
セイバー「シロウ、私もちょうどお腹が空いていたところです。特にバイキングなら色々食べる事が出来ますし、望むところです」
シロー「なんだ、イリヤ、そっちのバイキングの事か」
イリヤ「なんでよ。そーじゃなくって!」
シロー「まてまて、ここで魔法を発動させるなって!!」
セイバー「違うのですか?残念です。バイキングなら思う存分食べようと思ったのですが」
イリヤ「で、居たの?日本人ってバイキングなの?」
シロー「バイキングじゃなくって・・・海賊なら居たらしいけど」
イリヤ「海賊・・・?」
セイバー「海賊ですか?日本人が?」
シロー「いや、みんながみんなってワケじゃないけど・・・」
セイバー「「私も聞いてみたいですね、その話・・・」
タイガー「なるほどね〜。それで『英語教師』の私に・・・」
シロー「ゴメン、藤ねえ・・・て、なんでおまえまで!」
リン「いいじゃない。私のウチみたいなモンだし」
桜「え!?え!?ええ〜!!!!先輩っ・・・」
シロー「ちょ、ちょっと待て桜、変な誤解してないか?」
リン「誤解も何も、ねぇ〜士郎〜」
シロー「お前なぁ〜」
イリヤ「タイガ〜、こんなの放っておいて早くお話聞かせてよお〜」
タイガー「はいはい。えーっと・・・日本の海賊は倭寇と呼ばれてたの。倭寇がいつ頃から登場するかは未だにはっきりしないのだけど、『高麗史』によると1223年、『吾妻鏡』によると1232年に初めて記録されているわ」
シロー「えーっと元寇っていつだっけ?」
タイガー「一度目の文永の役が1274年だから、元寇の50年ほど前ね。よく元寇の復讐とか言われてるけど、事実は少し違うの
リン「私も元寇の復讐って聞いた事があるわ。学校で習ったのかしら」
タイガー「そういうと、『平和なウリナラを倭奴が荒らしたニダ!倭奴は先祖代々軍国主義者ニダ!シッパル!謝罪と補償を要求するニダ!』ってどこかの国が喚くかも知れないけど、それ以前から新羅・高麗・南蛮等の賊が九州を荒らしていたの。その事は、『太宰管内志(大宰府管内誌)』『類聚三代格』『日本三代実録』『百錬抄』『日本紀略』『扶桑略記』などに残されているわ
シロー(藤ねえって嫌韓だったのか・・・)

弘仁四年(813年)、新羅の賊1100人が平戸に来寇し、9人を殺して100人余りを連れ去った

貞観十一年(871年)5月22日夜、新羅の船2隻が博多湾に侵入し、豊前国の年貢を奪って逃走した

貞観十五年(873年) 朝廷は、出雲、石見、隠岐等国に命令を下して、新羅の賊行為に備え、警戒を固くさせる

元慶四年 (880年) 但馬国に新羅の不審船が出没し、但馬、因幡、伯耆、出雲、隠岐国等に、改めて厳戒令が敷かれる

寛平五年(893年)5月には肥前松浦郡、閏5月には肥後飽田郡に来寇した

寛平六年(894年)6月、新羅から賊2500人が45隻の船で対馬に来襲し、文室善友らが士卒100人を率いて防戦にあたった。のみならず、これに加えて島分寺の僧・面均など島民も戦闘に参加した。合戦には、賊302を射殺して勝利した

延喜六年 (906年) 隠岐に新羅船が出没したが、台風により沈没した
天慶五年 (943年) 隠岐に新羅の賊船7隻が漂着 (新羅は935年に滅亡しているので、新羅の難民か高麗の賊船かは不明)

長徳三年(998年)には高麗の賊が壱岐対馬を侵して肥前に迫り、奄美島民が筑前筑後薩摩壱岐対馬に攻め寄せた

翌四年(999年)2月には高麗の、9月には南蛮の凶徒が大宰府の討伐を受けている

長和三年(1014年)にも高麗が攻め寄せ、大宰府の討伐を受けている
最も規模が大きいのは承徳元年(1097年)の外寇で、異賊船百隻が松浦・筑前に攻め寄せています。大宰府官兵・九州軍士大いに守り、賊船を撃破し賊徒数万を海没させました。
セイバー「では、賊への対抗手段として海賊が生まれたという事なのですか?」
タイガー「その辺りの事は記録がないからなんとも言えないけどね。でも『三国史記』によると、統一新羅では国政に失敗して民が飢え、山賊に首都が荒らされるようになったことが書かれているわ。海賊が現れても不思議じゃないわね。事実、『扶桑略記』によると、「王の命令で行ったと新羅の捕虜が言った」と書かれているの
イリヤ「ふーん」
タイガー「それとね、構成員なんだけど、倭寇は主に対馬・壱岐・松浦地域の漁民で構成されていた事が分かってるんだけど・・・」
リン「だけど?」
タイガー「最近の研究では実は高麗人も倭寇なのよ。正確には倭族と騙ってたようだけど」
リン「ええっ!?」
元史 高麗伝巻87 地理志38 刑法1

刑法一

戸婚(とこん)

14年8月、憲司、上疏して曰く、
禾尺(かしゃく)才人(さいじん)は、耕種を事とせず、山谷に合い聚(あつ)まり、倭賊と詐称す。
早く図らざるべからず。
願わくは、今より所在の州郡は、其の生口に課して籍を成(つく)り、
流移するを得ざらしめよ。
曠地(こうち)を択び(えらび)勒いて(しいて)耕種せしむること。平民と同じうせよ。
違う者は、所在の官司、これを縄す(ただす)に法をもってせよ。

(現代語訳)
禾尺才人は農業を行わず山谷に集まって倭賊と詐称している。
その勢いは恐るべきものがあるので、放置しておいてはいけない。
直ちに対策をとるべきである。
彼らが居着いている州郡は彼らに人頭税を課し、
そのための戸籍を作り、流民になるのを防ぐべきである。
耕地を与えて、耕作させ、平民と同じように扱え。
違反するものがあれば、所属の官司は、法律に基づいて処罰せよ。

さてここで出てくる、禾尺才人とは、定住しない非農業民。
才人は、芸人、娼優、優人とも言う。
禾尺(スジェ)は楊水尺(コリョスジェ)とも言われ、山谷に集まって定住せず、
狩猟や柳器制作等を生業とし、屠殺専従の韃靼(ダッタン)禾尺も現れて、
彼らは、恒産恒心なき者と見なされた。
李氏朝鮮朝初期に白丁と改称され、定住政策を強いられたが、容易には成功しなかった。
リン「この頃からすでに成りすましてたのね・・・」
タイガー「この頃の倭寇は、壱岐・対馬・北九州を根拠地にして何度も高麗を襲ったり、中国沿岸部を荒らしまわったの。で、それに手を焼いた周辺諸国が日本に取り締まりを要求したの」
セイバー「当然の要求ですね。日本は適切に対処したのですか?」
タイガー「ええ。高麗は1367年、明は1371年、李氏朝鮮が1392年に取り締まりを要求して、日本もそれに応じて取り締まったわけ。それで倭寇と呼ばれた海賊は一旦消える事になった・・・」
イリヤ「一旦・・・?」
リン「なんで?後は取り締まられて終わりじゃなかった?」
タイガー「フッフッフッ・・・実は違うんだなーこれが」
シロー「どういうことだよ、藤ねえ」
タイガー「ここまでが前期倭寇のお話。次は後期倭寇のお話になるの。イリヤちゃん、面白くなるのはここからなのよ〜」
イリヤ「ふぇ〜???」


続きはそのうち・・・






ロクに資料もなしに勢いだけで作ってしまった。

今も反省はしていない(´・ω・`)




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author:玉置 麗華, category:[国内]日本史, 21:02
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