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【国際】ドイツ人へ戦争被害 ポーランド首相が記念館構想に理解
『加害国』独の戦争被害に光 ポーランド政権交代でタブー解除

 第二次世界大戦でナチス・ドイツに国土を踏み荒らされたポーランドが、ドイツ人が戦争被害を語ることを認め始めた。戦後ポーランドに編入された旧ドイツ領では、先祖代々の土地を追われたドイツ人の多くが犠牲になった史実がある。ポーランドはこれまで、加害者が被害を訴えるのは論外との態度だったが、政権交代を機に、旧住民が求める記念館構想にもゴーサインを出している。 (ベルリン・三浦耕喜、写真も)

 ポーランド北西部シフィノウィシチェ。ドイツと接する人口四万人ほどのバルト海の港町で、六十三年前の悲劇が掘り起こされようとしている。

 きっかけは、地元紙が先月に掲載した八十五歳の元ポーランド民兵の証言。それによると、終戦直後、町に残っていたドイツ人が一部の民兵に襲撃され、略奪、暴行、監禁の末に多数が犠牲となった。老人は「学校の広場の下に、何十人ものドイツ人が眠っている」と証言。現在、発掘調査が検討されている。

 敗戦でドイツはワイマール共和国時代の領土の約四分の一を喪失。その大半を編入したポーランドは、米英ソのポツダム合意に基づき、ドイツが再び東に進出しないようドイツ人住民を強制的に追放した。この結果、千二百万人から千六百万人が故郷を追われ、放浪の中で約二百万人が死亡した。シフィノウィシチェの事件もその一例だ。

 だが戦後、ナチスの残虐行為の原罪を負うドイツが被害を訴えることはタブーに。ドイツ国内でこそ旧住民らは財産の補償や返還を求める運動を起こしたが、政府間で補償問題が持ち出されることはなかった。

 東西ドイツが統一されてポーランドとの国境が一九九〇年に最終画定した後、旧住民は追放の苦難を刻む記念館建設を働きかけたが、財産返還要求につながることを恐れるポーランドは「歴史の相対化だ」と反発。実現のめどは立たなかった。

 風向きが変わったのは昨年十一月、ポーランドに国際協調を基本とするトゥスク政権が誕生してから。トゥスク首相は翌月にベルリンでメルケル独首相と会い「両国にタブーはない」と記念館構想に理解を表明。今月五日にワルシャワで行われた高官協議で、ポーランド側は、もはや構想を侮辱とはとらえないとの考えを示し、ドイツ側が実現に向けて動きだした。

 記念館設立運動を進めてきたキリスト教民主同盟(CDU)所属の女性連邦議会議員シュタインバッハさんは「一国の記念館に他国は介入できない。ポーランドが構想に立ち入らないのは極めて当然だ」と評価する。

 一方、ファシズム史に詳しいドレスデン工科大ハンナ・アーレント研究所のヤスクロウスキ博士は「新政権で一時的に雰囲気がよくなっても、根本的な問題は変わらない。欧州連合(EU)でつながっていても、これからも『ドイツ問題』は両国に立ちはだかるだろう」と展望している。

東京新聞
http://www.tokyo-np.co.jp/article/world/news/CK2008021702088188.html

ドイツ帝国

灯里「シモ朝鮮も見習って、第二次大戦後の一般市民に対しての犯罪行為を認めて下さい」
アリシア「ちなみにここの超管理人はポーランドが好きじゃないそうよ」
灯里「どうしてですか?」
アリシアポーランド回廊を引き渡さず、戦争を引き起こしたから、ですって」
灯里「ポーランド回廊?」
アリシア「ドイツ帝国は元々東西に長かったんだけど、敗戦時にポーランドが海を要求したので、ダンツィヒをポーランドに割譲。そのせいでオストプロイセンとドイツ本国が切り離されたの。その領土をめぐって交渉していたけど、結局決裂して戦争になったの」
灯里「そうだったんですか・・・」
アリシア「しかもドイツ第三帝国崩壊後はオストプロイセンも失い、ドイツ本国もオーデル・ナイセ以東の土地を失った。その結果がこの悲劇ね」
灯里「悲しい話ですね」
アリシア「でも、一番酷かったのはポーランド人じゃなくてシオニスト・ユダヤだったんだけどね。ホロコーストなんていうでっち上げで戦後ドイツ人を殺しまわったんだから。今でもパレスチナでナチス以上の虐殺を繰り返しているわ」



フロイライン

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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]全般, 16:19
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