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【ドイツ】ベテラン達の戦後 ---ドイツ空軍編---

ベテラン達の戦後

---ドイツ空軍パイロット編---

 


 


前回、西ドイツ政府がナチ時代の勲章受勲者達のために、改訂版勲章(1957版)を発行して彼らの名誉を守った・・・偉い(・∀・)!!というスレッドあげました。

 

日:http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmilitary&nid=41968


韓:http://enjoyjapan.naver.com/tbbs/read.php?board_id=pmilitary&nid=41968


 


そこで、ドイツ国防軍の最高位勲章である騎士鉄十字章(Ritterkreuz des Eisernen Kreuzes)受勲者達の戦後をあげてみます。今回は元空軍パイロット達を貼ります。


 


ドイツ空軍では1750人が騎士鉄十字章を受勲し、そのうち254人がドイツ連邦軍に復帰しました。受勲者の14%が再軍備に参加した事になります。生き残りの受勲者を分母にすればこの率は大きくなると思います。いずれにせよ、元国防軍将兵は、ドイツの再軍備に必要不可欠な人材であることは当然だったのでしょう。


 


 


 



Josef Kammhuber (1896-1986)


第一次大戦は陸軍工兵として参加し、少尉で終戦をむかえる。その後も軍に留まりドイツの再軍備が制限される中、1930年にソ連でパイロットの訓練を受ける。フランス戦で撃墜され、フランス敗戦まで捕虜生活を送る。帰国後は高射砲部隊の司令となり、防空網を敷く。1941年に騎士十字章を受勲。終戦時の階級は大将。戦後は新生ドイツ空軍に復帰し初代空軍総監となる。1962年に大将で退役。


ヨーゼフ・カムフーバー


左が国防軍時代、右が連邦軍時代


連邦軍時代でも、略綬(Ribbon Bar)でも、しっかりWW2での戦功を示しています。


一番上の段の出っ張りが騎士鉄十字章の略綬です。


 


ヨーゼフ・カムフーバー


かつての敵国であるイギリス空軍司令官と握手するKammhuber

 

 

 

 

Johannes Steinhoff (1913-1994)

西部戦線で活躍し騎士十字章を受勲。そして東部戦線・北アフリカで戦功をあげ、剣付柏葉騎士鉄十字章を受勲。大佐に昇進し新鋭戦闘機Me262を装備するJg7の司令に着任するも、ゲーリング弾劾のメンバーだったために干されてしまう。アドルフガランドに救われる形でJg77に復帰し、Me262を駆り重爆撃機を撃墜するが、エンジン不調が元で火災になり、顔つきが変わってしまうほどの大火傷を負う。戦後は新生のドイツ空軍に復帰し、順調な出世を重ね、3代目空軍総監、NATO空軍参謀長にまで上り詰め1974年に退役した。1994年に心筋梗塞で死去。

ヨハネス・シュタインホフ


左が国防軍時代、右が連邦軍時代


NATO関係でアメリカ空軍のCommand Pilot Badge?を付けています。

 

 


ヨハネス・シュタインホフ



連邦軍時代でも、略綬(Ribbon Bar)でも、しっかりWW2での戦功を示しています。


一番上の段の出っ張りが騎士鉄十字章の略綬です。


 

 

 


Herbert Kaminski (1905-1971)
東西両戦線の活躍で騎士十字章を受勲。終戦時の階級はは少佐。ドイツ空軍に復帰し中佐で退役。1971年に交通事故で死去。


 


ヘルベルト・カミンスキ

 


左が国防軍時代、右が連邦軍時代


連邦軍時代も、略綬(Ribbon Bar)でも、しっかりWW2での戦功を示しています。


一番上の段の出っ張りが騎士鉄十字章の略綬です。


 


 


 


Heinrich Trettner (1907-2006)
1929年少尉任官。飛行学校に入る。スペイン内戦にコンドル軍団(第88戦闘飛行隊)に所属し参戦。その後、第7航空師団の参謀将校になる。参謀本部少佐として騎士鉄十字章を受勲。イタリア戦線で空挺部隊を指揮、その戦功により柏葉騎士十字鉄十字勲章を受勲。戦後は大学で経済学を学んだ後、新生ドイツ空軍に復帰。ドイツ連邦軍総監(3代目)となり1966年に大将で退役。 


ハインリヒ・トレットナー

左が国防軍時代、右が連邦軍時代


この写真では首から勲章を吊っていますね。かっこいいです(・∀・)!!


 


 


 


 


 


Artur Pipan (1919-存命?)
オーストリア出身。地中海・北アフリカ・東部戦線で大活躍し騎士鉄十字章を受勲。戦後は故郷の新生オーストリア空軍に復帰し、飛行学校の教官になる。終戦時は大尉。その後、飛行学校長になり、1982年に将官で退役。



アルトゥール・ピパン


 

この人はオーストリア人です。

オーストリアではドイツと異なり、併合時代の勲章の着用は認められなかったそうです ( ´ω`)

 

 

 

 

 

 

 

Erich Hartmann (1922-1993)
スーパーエース。ダイヤモンド剣付柏葉騎士鉄十字章受章。戦後はソ連に抑留され1955年に西ドイツ帰る。抑留時には高ポストを条件に東ドイツ空軍への入隊を勧められたが、きっぱり断る。西ドイツ空軍では飛行教官・テストパイロットとしてF86・F104などに乗った。F104の導入には「危険な飛行機」であると反対した。ドイツ空軍はF104によって多数の犠牲者を出したので、彼の意見は正しかったと言えよう。なお、彼の伝記によると彼の人格・組織人としての適正評価は最悪に近いものだったらしい。1970年に大佐で退役。1993年に死去。

 

Gerhard Barkhorn (1919-1983)
東部戦線で順調にスコアをあげ剣柏葉付騎士鉄十字章を受勲。戦争末期にはMe262を駆り出撃したが振るわなかった。少佐で終戦を迎える。戦後は新生ドイツ空軍に復帰し、戦闘爆撃航空団・テストパイロットなどの任に就き戦後も飛び続けた。1975年に少将で退役。1983年に交通事故で死去。

 

Günther Rall (1918-)
西部・地中海で戦い、東部戦線で大活躍し樫葉付騎士鉄十字章を受勲し、終戦時は少佐。戦後は新生西ドイツ空軍に復帰し順調に出世。1971年にはSteinhoffに続き4代目の空軍総監になった。1974年にはNATOに勤務し、1975年に中将で退役。現在も存命。

 

 

この3人は、まとめて4人の写真(+Steinhoff)で

 

 


パイロット

 

左から

Gerhard Barkhorn、Erich Hartmann、Johannes Steinhoff、Günther Rall

です。

 

 

 

 

ハルトマン

 


イギリス空軍のエースDuglas Bader(右)とHartmann(左)


二人ともお爺さんですね。


 


 



 


 


ハルトマン

上はHartmannカラーのBf109g

下は戦後のHartmannの愛機


F86も黒いチューリップw


 

 

 

 

 

参考:google、wikipedia、その他いろいろ


enjoy korea
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=pmilitary&nid=44003

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日本はドイツを見習うべき
http://maokapostamt.blog77.fc2.com/blog-entry-1777.html




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author:玉置 麗華, category:[ドイツ]全般, 16:19
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