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【台湾】民進党が政権を失った理由(その1)
民進党が政権を失った理由

■民進党政権は名目的なものだった

 二期八年にわたる民進党政権は、なぜその座を失ったのだろうか。日本の世論では、民心を失った、汚職、腐敗が増えたなどなど様々な理由が取り上げられた。それも一般的なイメージとして定着し、確かにそれもあるが、決して正確ではない。

 いままでの支持者、いわゆる「深緑[シムレク]」(急進的独立派あるいは、その強い支持層)が陳水扁政権に対する不満を募らせてきたのだ。その支持基盤の有権者が冷淡になり、無関心となり、失望して離れていくこともある。あるいは「台湾」のためなら支持するが、「陳」や「民進党」には支持しないということになり、いざ投票になると、いわゆる「含涙投票」(涙を呑んで支持投票をする)、「死忠」(死ぬまで忠義をつくす)層がある。もちろん、わざと棄権して「泣いて鳴いて馬謖を斬る」心情もある。

 もう一つ民心が去ったというのは、統一派(中国資本)のマスメディアからつくられた「民心」である。無知な民衆はそのつくられた世論に同調する人々も少なくないのが事実。 汚職、腐敗といわれても、一部の民進党関係者は確かにそれと絡み、あるいは疑惑もある。しかしそれは、針小棒大に取り上げられ、二重基準で非難され、しかけられ、はめられたということもある。

 汚職といえば、中国五〇〇〇年の伝統文化である。はまったらなかなか抜け出せない構造汚職の政治経済的システムになっている。いわゆる総統特別費問題などと取り上げられた汚職問題は国民党系の同様の問題に比べ、数十分の一か数百分の一に過ぎなかった。そこに国民党系、いわゆる「藍色媒体」(統一派マスメディア)に独占される台湾の真の悲劇があるのだ。

 民進党が政権を失った理由は、もっと根源的な問題があった。そこには、あまりに無視され、あるいはなんの手段も講じられなかった民進党政権の未熟さあるいは無力があった。

 半世紀以上にわたる国民党独裁政権が民主化によって国政選挙によって政権を失っても、中華民国体制はそのまま健在であった。陳水扁政権は、ただその守り神に祭り上げられたままである。議会では少数与党であり、すべての官僚機構はそのままで上層部が数人交代したのみで、人事はそのまま微動だにしなかった。実際、政権交代とは名目的なものであって、実質的には中華民国体制そのままであった。もちろん民進党政権は「革命政権」ではなかったので、政治改革は不可能に近い。人類史上、政治改革というものは、明治維新など少数の例外を除いて「改革」というものがほとんど失敗したのは人類史が繰り返して物語っている。

 民進党の敗因は八年問の政治改革にあるという見方も強い。たいてい改革や維新を掲げる政治は例外を除いてほとんど失敗に終わるのが多い。

 民進党の政治改革に対して、最も恐れ抵抗し続けているのは、公務員とその家族である。国民党政権下ですべての公務員、教員は入党を義務づけられ、定年後には年利一八%の退職金、預金の優遇制度がある。もちろんそれは農・漁・工・商の非公務員にとってはきわめて不公平な制度である。

 ずっと公平是正の政治課題として非難され続けてきたものの、公務員は一八%の年利廃止を恐れて、ずっと国民党の絶対支持層となっている。

 一般理論としては、たいてい一人あたりのGDPが何千ドルか一万ドル以上になると、中間層が生まれ、政治民主化が成立やら成熟やらするという民主化理論が唱えられているが、あの『歴史の終わり』で知られるフランシス・フクヤマが中国政治に対しては、まったく逆の見方を指摘している。というのは、中間層は既存の特権を守るために逆に民主化を反対するのだ。

 国民党政権、いわゆる「党国体制」としての独裁政権が半世紀経って、李登輝政権下で、いわゆる「静かな革命」(寧静革命)で民主化が推進され、九六年から総統民選が達成されたのは、六〇年代から台湾の反体制運動に参加してきた私にとっては、予想外であり、劇的でもあった。もちろん二〇〇〇年から国民党政権から民進党政権に交代が達成できたのも予想外だった。

 他にも民進党が政権党になって、二期八年で失ってしまったのは、様々な理由があった。

 九〇年代に入って、バブル崩壊で日本が失われた一〇年や一五年といわれるほどの不況に陥っているときも、台湾はなおも四−五%前後の経済成長があった。二〇〇〇年代に入って政権交代後から台湾の産業空洞化が顕在化され、格差が広がった。それでもBRICsほどの成長ができなくても、たとえば二〇〇七年の経済成長はなおも五%もあった。それでも民進党政権は統一派マスメディアの言論の圧力の下で中国に対し、八○○○項目の産業を開放したのだ。世界的な低迷と格差の拡人の中で、経済的な不振が民進党政権に対する不評の的となったのだ。

 民進党政権の八年問を総括していえば、それは政権担当能力の未熟であった。早熟な政権だったからだ。陳水扁総統自身にとっても、国家元首になったのはまさかの予想外だった。人気先行政権は、人気が去ればその政治生命も終焉する。馬英九新総統も同じく人気だけが先行するイケメン総統である。

 馬英九最大の魅力は女性票にあるともいわれる。ある調査では馬の得票数七六五万票中に女性票は四〇〇万〜五〇〇万票が入っているともいわれる。ことに中年オバサンの大多数は馬に投票したともいわれる。一般調査で馬と謝との女性票では二対一の比である。だから馬の圧勝は女性人気からくるものという分析は近代的人気投票としての参考になる。
 陳水扁政権についてよくいわれるのは、「看報治国」(新聞を読んで国を治める)と「童子軍治国」(ボーイスカウトで国を治める)である。

 新中問路線をとり、全民政府を目指して、世論重視のために世論が政府政策を左右玄ことになる。そして長老をすべて排除して若い側近のみで身の回りを固めたので、「ボーイスカウト政治」と皮肉られたのだ。

 八年も政権の座に居ながら、教育はほとんど旧態依然であり、世論は中国統一派に牛耳られながら、政府の力で自らマスメデイアをつくることもできなければ、グリーンのマスメディアを支持することもしなかった。

「看報治国」の行きつくところ、ブルーのマスメディアに打倒されたともいえよう。

(その2に続く・・・)

『台湾は中国の領土になったことは一度もない』 黄文雄著



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author:玉置 麗華, category:[台灣]ニュース, 22:18
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