RSS | ATOM | SEARCH
スポンサーサイト

一定期間更新がないため広告を表示しています

author:スポンサードリンク, category:-,
-, -, pookmark
【韓国史】李氏朝鮮の隠された歴史
李氏朝鮮の隠された歴史


氏朝鮮 ── 1392年の成立から1910年の日韓併合まで、実に27代500年余の間、朝鮮半島に君臨したコリア史上最後の王朝です。


その李朝最後の王であった純宗皇帝が、1910年、日本による韓国併合によって退位「させられた」事を以て、「奪国王」と韓国は主張しています


しかし、その李朝が実は「造船_人の王朝では無かった


 


朝の創業者である李成桂 ── 太祖は、高麗王朝に仕える有力な武将として、自身の出身地である半島東北部の咸鏡道の守備軍を統率する「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」と言う官職にありました。


然し、当時の高麗宮廷内は、北元(モンゴル)に付く親元派と、新たに南京で勃興した明朝に付くべきとする親明派の二派に分かれ、激しい派閥抗争を繰り広げていました。


その様な情勢の中、北元の事を快く思っていなかった李成桂に、高麗宮廷が明の支配する遼東半島攻めを命令。李成桂は心ならずも出陣し、北の大河、鴨緑江沿いに布陣します。李成桂はここで一世一代の大博打を打ちました。


鴨緑江沿いに布陣していた自軍を反転させ、何と王都・開京へと進軍したのです。これが世に言う「威化島回軍」と呼ばれるクーデターで、李成桂はその儘、王都を攻略し、高麗最後の王である恭譲王を廃し、明朝に朝貢して自ら王位に即きました。これが李朝の創業である訳ですが、問題は李成桂の出自です。


 


李氏朝鮮 太祖李成桂


成桂が半島東北部・咸鏡道の出身であるのですが、問題はこの地域が、南から移住した高麗人(朝鮮_人)と、北から移住した女真人(満州人)混雑地域だったと言う事です。つまり、高麗人と女真人の混血がいたとしても何ら不思議では無い地域、それが半島東北部であった訳です。それでは、李成桂の家系はどうであったのか?と言う事になりますが、李朝の正史である『李朝実録』(韓国では、『朝鮮王朝実録)の内、李成桂の事績を記した『太祖実録』の総序に以下の様な記述があります。



「太祖康獻至仁啓運聖文神武大王、姓李氏、諱旦、字君晉、古諱成桂、號松軒、全州大姓也。」


(太祖康献至仁啓運聖文神武大王は、姓が李氏、本名が旦、通名が君晋、嘗ての名が成桂、松軒と号し、全州李氏の出身である)


『太祖実録』の記述だと、李成桂は半島南部、現在も韓国・全羅北道の中心都市である全州に、そのルーツがあると言う事になります。然し、この記述を額面通り受け取る事が出来ない事実も又、存在します


 


朝鮮半島 北朝鮮 韓国


成桂の父は名を「子春」と言い、子の成桂と同じ「咸鏡道万戸兼東北面兵馬使」の官職を高麗王朝から授かっていました。然し、問題は「子春」のもう一つの名前です。彼には「吾魯思不花」(ウルス-ブハ Ulus Buqa)と言う蒙古(モンゴル)名があったのです


そればかりか、李成桂の伯父達、詰まり、李子春の兄弟も、完者不花(オルジェイ-ブハ Ol?ei Buqa)、那海(ノカイ Noqai)、塔思不花(タシ-ブハ Tasi Buqa)と言った蒙古名を皆持っており、これらのの事実から、李成桂の家系が純粋な高麗人では無かった事は明白です。


 


高麗人と女真人が混雑していた出身地・咸鏡道の地域性と、父親兄弟が皆、蒙古名を持っていた事実から、李成桂の家系が、高麗人に女真の血が混じった混血だった可能性が高い訳です。そして李成桂の家系が、むしろ、女真人に高麗の血が混じった混血、あるいは、女真人そのものだったのでは無いかと簡単に想像できます


 


成桂の四代前の高祖父は、名を「李安社」と言いますが、実は、彼の官職が問題なのです。


元朝(蒙古の正史である『元史』には、李安社が、元朝に仕える地方官吏「達魯花赤」であったと記しています


達魯花赤とは、蒙古帝国が占領併合した地域の統治官・行政長官として設置した官職で、現地の徴税・戸口調査・駅伝事務・民政一般・治安維持と言った行政全般を大汗(ハーン)に代わって執行した代官です


そして、その達魯花赤には、稀に色目人(西・中央アジア出身者)が登用される事はあっても、原則として蒙古人(及び蒙古系女真人)が任命される事が慣例であり、当時の被支配階級であった支那人、ましてや「支那人の子分」に当たる高麗人が任官する事等到底あり得なかった訳です


その達魯花赤に「高麗人」李成桂の高祖父である李安社が任官していた。通常では絶対あり得ない「高麗人」の達魯花赤任官。これは、李安社が「絶対あり得ない」異例中の異例としての任官を果たしたと言うよりも、寧ろ、李安社が高麗人では無かったと考えるのが極めて自然である訳です


そして、それは取りも直さず、李成桂自身も純粋な「高麗人」では無かった ── おそらくは、女真人と高麗人の混血 ── だろうと言う答えに行き着きます。


 


李成桂の出自が高麗人(朝鮮_人)では無かったと推測出来ますが、女真人(満州人)を卑下し李朝の存在を否定するものではありませ。


此処ではっきりした事が一つあります。コリア最後の王朝として500年余にわたり、朝鮮半島に君臨した李朝が、実際は純粋な朝鮮_人の王朝では無く、満州人の王朝だったと言う事です。この事は、きちんと認識しておくきです。


 


日本が先の大戦に敗北した事が発端となり、朝鮮半島が独立を回復


── 彼ら言う所の「光復」 ── したのにも関わらず、何故、韓国も北鮮も、「奪われた国王」を復位、詰まり、王朝を復興しなかったのか?


英親王・李垠(イ=ウン/り-ぎん)殿下(下写真)は存命していました。


 


ひょっとしたらコリア人は、の「出自」が自分達とは毛色(民族)を異にする満州人であると言う事を、無意識の内に悟っていたのかも知れません。詰まり、戦後のコリアに王朝が復興されなかったのは、日本の「奪国王」により王家が断絶した事が理由では無く、彼らコリア人が自らの意志として、王朝復興をしなかった事が主因である訳です。一方で「国王を奪われた」と言いつつ、復興する機会が到来したにも関わらず、敢えて「国王を復位させなかった」のです


 


 



 


 


韓国 英親王・李垠


enjoy korea
http://www.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=phistory&nid=113702



↓読んだらぽちっとおながいします↓

JUGEMテーマ:歴史


author:玉置 麗華, category:[韓国]歴史, 23:23
-, -, pookmark
スポンサーサイト
author:スポンサードリンク, category:-, 23:23
-, -, pookmark