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【日本史】高麗史を読む
【神風なしでも】高麗史を読む【超楽勝】

筥崎宮

高麗史

『高麗史 列伝巻十七 金方慶伝』を読む

このスレは、高麗史の記述を元にお送りします。

 
 金方慶さん、danbokkと同じ安東金さんです。この時点でろくなもんじゃありませんw。その祖先は新羅敬順王の遠孫であるらしい。ホントかどうかしらんけど。
 
1 頭角を現す金方慶
  金方慶さん、モンゴルの手先になって済州島のゲリラ討伐なんかもやっちゃいます。このゲリラ討伐で出世していますね。もちろん、三別抄狩りです。誇らしい三別抄、高麗史では「賊」です。韓国人はモンゴルに抵抗した三別抄と高麗の日本侵攻の双方を同時に誇りますが、三別抄を誇るなら、日本を攻撃した高麗はモンゴルの奴隷、日本を攻撃した高麗を誇るなら、三別抄は糞ゲリラです。僕はどっちでもいいよ。
<#`д´>かんしゃくが裂けますね!高麗は40年モンゴルに抵抗したの!
( ´H`)y-~~してません。三別抄はモンゴルじゃなくて高麗軍と戦ってます。

元寇


2 文永の役(第一次侵攻作戦)
元寇


  
この後、モンゴル皇帝フビライが高麗に日本侵攻のために船を造れと命令(命令ですよ、命令。)しますが、費用も資材もなく、工期にも間に合いそうになく、国家の大問題となります。それもこれも、人質だったころの忠烈王が、自分が帰国したい一心でモンゴル人のコスプレまでして「私を帰国させてくれたら日本に聖なるモンゴルの偉さを教えてあげます〜帰国させてください〜頼みです〜」と媚びたツケが回ってきたものです。
そんなこんなで、工費も工期も資材も半端な900隻のボロ船艦隊が完成しました。乗り込んだのは蒙漢軍(ほとんど中国北部の中国人でモンゴル人はほとんどいない)25000名、高麗軍8000名、水夫6700名(船大工をそのまま水夫として徴用)、合計約40000名の安っぽい侵攻部隊のできあがりです。
ボロ船艦隊は合浦を出航し、対馬・壱岐を襲撃します。壱岐・対馬では数にものを言わせて占領しますが、日本本土に到着すると状況は一変します。武士ツヨス。高麗軍は必死に奮戦して、夕方には戦闘が一段落します。というか、高麗軍は割とボロボロです。(参考:元史では「盡矢(矢が尽きた)」と表現されている。)
そこで作戦会議です。金方慶は総司令官の忽敦と隣接部隊の司令官である洪茶丘に「我が軍は劣勢とはいえ、敵の領土に入ることが出来たのだから、戦うべきです。船を焼き払い、背水の陣をしいて、もう一度戦いましょう。」と口先だけで勇ましいことを言います。総司令官の忽敦は「あのねえ、孫子が〈小敵の堅、大敵の擒〉って言うようにね、味方の敗残兵(原文:疲乏之兵)をかきあつめて、どんどん増強される優勢な日本軍(原文:敵日滋之衆)と戦っても勝てるわけがないでしょ。退却するしかないよね。」と金方慶の無謀な案を一撃で却下します。
もう一人の指揮官、復亨はその日の戦いで矢に当たって重傷を負い、既に船に逃げ帰っていたので作戦会議には出席していないです〜。こうして「全軍退却(原文:遂引兵還)」が決定したわけでございます。橋頭堡も確保できずに上陸作戦失敗。この時点で、元・高麗軍の敗北決定。敗戦。日本軍の勝利確定。
そうして船に逃げ込んだ日の夜、折からの暴風雨でボロ船艦隊は粉々になります。暴風雨に遭った時点で、既に戦争に負けて逃げ帰る途中だったのだね。
 
3 その後の金方慶
 後に金方慶、元寇の敗因を上げて「船大工を水夫として使ったら戦闘では全然役に立たなかった」なんて当たり前の事を言っております。アホです。そんなこんなで、金方慶、疑獄事件に巻き込まれ、針金を首に結びつけられて引き回され、鞭で頭を殴られたりします。朝鮮半島に息づく伝統文化、密告による謀叛・横領の疑いです。金方慶とその一族は奴隷にされて(方慶及子壻家属悉送京師以為奴隷)その禄は兵糧に転用されます。楽しい人生です。残念なことに後にこの疑いは晴れてしまいます。w
<#`д´>私は悪くなくて!船大工がうっかり者なの!まことに息苦しいですね!
 
元寇


4 弘安の役(第二次侵攻作戦)
元寇


 そんなわけで、復権した金方慶に第2回目の日本侵攻作戦の命令が下ります。もちろん、モンゴルの皇帝からです。この時点で金方慶、けっこう年です。はっきり言ってジジイ。こんどの指揮下部隊は正規軍10000と水夫15000、日本侵攻を頑張れと言うことで、フビライから金方慶に中善大夫管領高麗国都元帥の称号と四品の官位を与えられ、宴席で白いご飯と魚の汁を下賜されます。華麗な高麗の食生活が偲ばれますね。元帥閣下一世一代の食事が「白飯と魚の汁」ふだん何食っていたのでしょうね?
 そんなこんなでついに出撃です。康安四年六月、金方慶以下25000の高麗軍を主力にする45000名の東路軍は九州沿岸に殺到します。金方慶、周鼎球、朴之亮、荊萬戸(萬戸は軍の階級)らが日本兵を300名ほど討ち取って調子に乗っていると、日本軍の突進を受けて高麗軍の戦線があっさり崩壊。指揮官の茶丘は敵前逃亡開始。日本軍はこれを追撃しまくります。ギリギリのところで王萬戸の部隊が日本軍を横から攻撃してくい止めたので、茶丘は九死に一生を得たわけですね。高麗軍、翌日もしっかり負けました(原文:翼日復戦敗績)。その後も高麗軍は戦うたびに負け続けです(原文:累戦不利)
元寇

 この頃、高麗軍に伝染病が流行し、戦わずに3000人が死にます。(参考:なぜ伝染病が流行するのでしょう?そうです。この時点でもう二ヶ月も上陸作戦が成功していないので、食料は欠乏し、船の中の衛生状態は最悪だったということが考えられますね。高麗史によれば、この頃に高麗本土で天然痘と思われる疫病が流行してますので、天然痘かもしれないです。)
 まあ、こんな有様なので、忻都(総司令官)と茶丘(死に損ないの高麗人指揮官)たち高級指揮官が雁首揃えて「連戦連敗だし、范文虎の江南軍も来ないし、退却したほうがいいんちゃうか」という議題で作戦会議。結論は「フビライ様のご命令で江南軍と合流しなくちゃいけないから壱岐で待つニダ。南宋軍が来ないし、我が軍は先に到着してもう何度も戦ったので、船は腐っているし、食料もない、もうだめぽ。」ということで、この時点で高麗軍の敗北決定。作戦会議の決定の内容は、実に属国らしい、宗主国の命令が国民の生命を上回る結論で終了。ここで帰れば良かったのにw
ここまで黙っていた金方慶は「フビライ様のご命令(原文:聖旨)を奉って、食料は三ヶ月分持ってきているので、あと一ヶ月は持ちこたえられる。南宋軍と合流すれば、必ず勝てます!」などと、またまた口先だけで大きな事を言い出します。でも、この時点で高麗軍に自力で戦う力は残っておりませんでした。(大笑い
 さて、やってきました南宋軍、9000隻の大艦隊。飢えと疫病に苦しむ高麗の敗残兵は、やっとの事で援軍との合流には成功しますが、上陸作戦は全然成功しないまま台風シーズン到来。南宋軍・東路軍ともに潰滅。終了。
ちなみに、高麗史金方慶伝では、南宋軍は「蛮軍」ですよ、「蛮軍」。かつての高麗の宗主国、高麗が死ぬほど事大した南宋が「蛮族」呼ばわりです。まったく激しい属国根性ですね。(苦笑
 
5 金方慶の最期
  89才まで無駄な余生を送って死んでます。
 
<#`д´> 要点は何なの!要点は何なの!
A 文永の役(第1次侵攻):退却を決定して逃げている最中に遭難
B 弘安の役(第2次侵攻):6月上旬から約3ヶ月上陸を阻止され漂流、ついに遭難


 というわけで、韓国人は「元寇は台風おかげさまで失敗しましたね。キルキルキル」とか言ってますが、高麗軍は台風に関係なく、2回ともごく普通に負けております。宜しいでしょうか?自国の歴史書の内容くらい良く覚えておいてくださいね。
( ´H`)y-~~

 
そこで一曲「高麗船」
 
波の間に高麗人が
やたらたくさん溺れてる
高麗船は親父の形見
型は古いし時化にも弱い
俺とアニキのよ
夢の棺桶さ


たった一人のフビライさんに
楽な暮らしをさせたくて
高麗船は嵐の海で
なにもしないでそのまま沈む
熱い火_病じゃよ

水に浮かないぜ


enjoy korea
http://bbs.enjoykorea.jp/tbbs/read.php?board_id=thistory&nid=1832978

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author:玉置 麗華, category:[国内]日本史, 22:40
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